山本郁也氏を再びゲストに招いて、2014年6月12日に新宿のレストランで収録しました。全長2時間6分の雑談です。今回のトピックは、最近のウェブ制作のこと、ユーザーエクスペリエンスデザインのこと、アクセシビリティのこと、そして最後には情報の哲学と人間の身体性のような話にまで発展しました。

後日談

山本

石橋さんからもらった課題への回答ですが、あの時感じたちょっとした気持ち悪さは、ノスタルジー的なくだらない反動の感情だということで自己解決しました。謎

もうちょっと前向きに、何とか批判したいと思っております。笑

ただ、ホモサピエンスは終焉間際なのかもしれないな、と。

石橋

脱身体化したら、終焉しそうですね。

山本

ホモサピエンスではなく、別の名前が必要ですね。

石橋

収録ではマトリックス的な「どこかに身体があるタイプ」のインフォーグを想定してましたが、もっとハードなSFの世界では完全にコンピューター上にのみ存在する「人間」というタイプの世界設定もありますしね。東浩紀のQFもちょっとそういう感じ。

根拠となる人体がなくなったとき(攻殻機動隊でいえば「人形遣い」的な人工知能)を「生命」と認識して「人権」を認めるかどうか、みたいな問題については今世紀中に我々は直面すると思いますしね。

山本

そこはヒューマニズムの話ですよね。むしろヒューマニズムを再定義する必要すらありそうな。

石橋

ぼくはヒューマニズムって人間側の認識の問題だと思ってるので、「相手に憐れみを感じる」ならば、それはもう人間側の「負け」というか、相手の存在の尊厳を認めるしかない。

立場を入れ替えて、対象物のほうを主語にして言えば、「それっぽい振る舞い」がすべてであって、そのなかに「生命の本質」が宿ってるかどうかは関係ない。「哲学的ゾンビ」の議論ですけども、そこはbehavior主義でいいと思ってます。

でも、そもそも「相手に心があるかどうか」を問題にする「心の哲学」的な基準から相手の尊厳を認めるかどうかを判断するというのが、一種の人間中心主義だと批判できて、そこからピーター・シンガーは「動物の解放」というし、フロリディは「存在中心へ」と言い出す、的な…w

山本

そしてリオタールはアンチインヒューマニズムを叫ぶわけですね。ぼくはまたこれに賛成で…w

ヒューマニズムを叫ぶのはホモサピエンスの義務だとw

しかし、動物の解放というのはあり得てしまう気もします。テクノロジー時代に不自由を感じてしまうのは、人間は結局動物に帰属するからですし。では動物から解放されれば良いだけの話なわけで。

石橋

「地球をヒト以外の動物に譲った上で、ヒトは宇宙空間で太陽エネルギーとか使いながらコンピューターの中の情報的存在にアセンションします!」 ってのは「脱人間中心主義」や「環境倫理」の立場からは究極の到達点ですよね。ぼくは脱人間中心主義ではないけども。

「ヒトが身体を捨ててコンピューター上の情報的存在に移行する」という存在論的シフトは、「フィジカル(身体的・物理的)な不自由からの自由」という消極的自由の究極であって、リバタリアンには魅力的かも。

山本

ぼく、地球をヒト以外の動物に譲るというのはけっこう支持します。

環境野郎なので。謎

そして45億年後の太陽の熱力学的な死を待つしかない以上、その選択肢は考えざるを得ないわけですし。

石橋

マクロス船団的な何かで系外脱出ですかね

山本

しかしできれば他の動植物たちも一緒に…w

まさに宇宙船地球号ですよ。w

石橋

ノアの方舟w

ぼくのこういう考え方は『フロリディ情報哲学』に近いと思ってます。