ロシア革命後の紙上建築家から学んだ、ユートピア建築の手法と倫理

on 2015-04-29 (1 year ago) by 石橋秀仁

レオニドフによるレーニン(図書館学)研究所案の模型(1927年)

本田晃子×上田洋子「全体主義とユートピア建築――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」に参加してきました。とても面白かったです。(イベントの録画は、しばらくの間ニコ生でタイムシフト視聴できるようです)

本を読み、著者の話を聞いて、

  • 人びとに世界を新しく見せること
  • 「新しい人間」のイメージの宣伝によって抑圧される人びと

について考えました。

人びとに世界を新しく見せること

レオニドフの創作活動において終生変わることがなかったのが、革命という契機によって、あるいは近代的な建築技術やマスメディアの出現によって、空間の有機的全体性という神話が決定的に解体された地点から、建築を思考することだった。他ならぬ彼自身が、革命によって本来属するはずであった土地や生業を離れ、モスクワで建築家としての教育を受けることになったわけだが、彼は他の人びとにも旧習という重力や大地へのノスタルジーに囚われることなく、世界を新しく建設することを提案した。とりわけ構成主義時代に彼が徹底して問い続けたのが、その前提としていかにして世界を新しく見る(見せる)かという問題だった。いわば彼にとって視覚と表象とは、新しい建築物−共同体を設計する上での前提たる、新しい世界の認識に直接関わっていたのである。 (p.312)

情報空間を建設するアーキテクトは、「いかにして世界を新しく見せるか」という問題について考えなければなりません。情報技術に真価を発揮させ、人類を進歩させるためには、「新たな時代の、新たな人間」のイメージを広める必要があります。

新しき酒は新しき革袋に盛れ」という言葉があります。「新しい思想や内容を表現するには、それに応じた新しい形式が必要だ」という意味です。この逆で、「新しい皮袋が手に入ったら、新しい酒を持ってこい」と私は言います。情報技術に真価を発揮させるためには、新しい思想、新しい価値観が必要なのです。

人びとが旧習に囚われていては、「IT革命」も小さな変化にとどまってしまいます。「IT革命」が真に革命的な進歩となるためには、人びとの物の見方からラディカルに変える必要があります。それによって人類は大きく飛躍するわけです。市民革命や産業革命は、実際そのような「革命」でした。

ですから、アーキテクトには「人びとに世界を新しく見せる」という任務があります。ひるがえって、ウェブやアプリの開発者たちは、そのような役割を果たしているでしょうか。単に現在のパラダイムのなかで「より便利」「より効率的」なものを作っているだけではないでしょうか。自戒を込めて、もっと「人びとに世界を新しく見せる」ような活動に取り組まなければならないと思います。1

「新しい人間」のイメージの宣伝によって抑圧される人びと

しかし反面で、レオニドフのマスメディアに依拠した構成主義時代の建築は、見方によっては抑圧的とも言えるものであった。(…)“新しい人間”に完全な自由を保障する彼の無重力の世界は、同時にこれらの要素を不可避的に包含する“古い人間”を根絶しかねない、危険な側面をも秘めていたのである。 (p.313)

新たな人間観・社会観は、同時に「抑圧性」を孕みます。その危険性に自覚的でなければなりません。

「新たな人間」のイメージを宣伝するということは、常に同時に「古い人間」のイメージも流布することになります。「新たな人間」のイメージにうまく適応できない人びとにとって、そのようなメッセージは、自らが「古い人間=落伍者」であるというスティグマ(レッテル、烙印)につながってしまいます。そうならないための配慮も必要です。(この点についてはレオニドフを反面教師として学びました)

これは誰にとっても身近な問題のはずです。「デジタル・デバイド」や「デジタル・ネイティブ」という言葉はご存じでしょう。IT革命における「新しい人間」と「古い人間」のイメージは、すでにこういった記号を通じて流布しています。2

ただし、「新たな人間」のイメージを流布することが抑圧をはらむからといって、それを避けるために単純な相対主義に陥ってはいけません。「どちらも傷つけたくない」という思考から、「何もしないこと」を選んでしまっては、元も子もありません。それでは何も前向きな事ができなくなってしまいます。後ろ向きな思考です。

では、どうすべきか。単純な相対主義を乗り越えた上で、(宮台真司風に言えば)「あえてするコミットメント」が必要です。前提として、落伍者・弱者を救済するためのアーキテクチャは必要です。例えば「再教育プログラム」のようなものが考えられるでしょう。3

そういう措置を講じた上で、「新しい」「古い」という単純な二分法によって分かりやすく伝えれば良いのです。分かりやすいメッセージのほうが、人びとには伝わりやすいのですから。それによって「人々に世界を新しく見せる」ことができます。パラダイムシフトを起こすには、誰にでも分かる、分りやすいメッセージが必要です。

まとめ

以上の話をツイートサイズにまとめておきます:

ユートピア建築の手法と倫理:人びとに世界を新しく見せる(パラダイムシフト)ために、「新しい社会、新しい人間」のイメージを流布する。ただし、そこで疎外される「古い人間」への救済措置を忘れてはいけない。

  1. ここだけの話、まだ構想段階なのですが、「人びとに世界を新しく見せる」ような未来構想力のある人材を育成したいと考えており、そのための「私塾」を構想しています。例えばこんな講座を考えています:世界史や思想史を学ぶ講座や、SF小説を読んだり書いたりする講座。

  2. 「デジタル・ネイティブ」の対義語は「デジタル・イミグラント」です。「ネイティブ」には「〜生まれの人」という意味があり、「イミグラント」には「移民」という意味があります。

  3. この「再教育プログラム」という言葉は、文脈が文脈だけに「おそロシア」的な何かを連想されてしまうかもしれませんが、もちろんそういう意味ではありません。私が意図したのは、基本的人権としての「教育を受ける権利」とか、「人間の安全保障としての能力開発」(アマルティア・セン提唱の概念であり、今日的な国際協力・政府開発援助のドクトリン)といったものです。リテラシー(読み書き能力)の教育は、学校教育の基本的な要素です。