12月8日、真珠湾攻撃の日、アメリカと敗戦について未来志向で考える

on 2013-12-08 (3 years ago) by 石橋秀仁

日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式の写真
出典:陸上自衛隊中央音楽隊ウェブサイト

12月8日は平和を歌ったジョン・レノンの命日であり、日米が開戦した真珠湾攻撃の日です。

1941年12月8日未明、日本海軍はハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ海軍の戦艦アリゾナを沈めるなど、甚大な被害を与えました。これにより日本とアメリカは戦争状態に入りました。

(これは右とか左とかいったイデオロギーとは関係のない文章です)

敗戦と野中郁次郎

私は2011年6月24日に野中郁次郎氏の講演を聴きました。最も印象に残ったのは戦時を振り返った言葉です:

小学生4年生のときに終戦を経験しました。私自身は疎開先で空襲に遭ったのです。グラマンのFGFという戦闘機がありまして、これに機銃掃射を受けた。生き延びることはできたのですが、たまたまパイロットが低空飛行してきたときにそのパイロットが笑っているように僕には見えた。「こいつら今に見ていろよ」「必ずリベンジしてやる」という怨念がありまして(会場笑)。今でもあるんですよ。それが米国留学などともどこかでつながっているんですよね。

「(会場笑)」とあります。たしかに、みな笑っていました。彼ら聴衆には、日本の敗戦が、自分に関係あるとは思えなかったのかもしれません。ただ、野中氏は笑っていなかったと記憶しています。そのとき私には野中氏が「冗談」を言ったようには思えませんでした。だから私には笑えませんでした。「笑うところではない」と思いました。

野中郁次郎氏は『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』の著者の一人です。この本は端的に言って「日本軍はなぜ敗北したのか」の研究です。これがその後の「知識創造理論」、言い換えれば「イノベーション理論」につながっていくわけです。武力の争いから経済の争いに変わりましたが、野中氏の「リベンジ」は続いてきたわけです。

アメリカへのアンビバレントな感情

私は敗戦を忘れないつもりです。といっても、アメリカを憎むわけではありません。アメリカは多くのものを戦後日本に与えてくれました。日本の経済発展はアメリカの「庇護」のもとに実現しました。

そして今日も日本の安全はアメリカの「核の傘」のもとに守られています。「フクシマ」以降の現在でさえ。これは「日本がいまだに一人前の国家として自立できていない」ということだと理解しています。

アメリカ・GHQによる侵略は、たしかに「庇護」という側面を持ちました。日本にとって良い面もたくさんあったでしょう。しかし、「今日に至るもアメリカから自立できていない日本という国」を作ったのもまたアメリカだと言えるでしょう。私はアメリカに対してアンビバレントな感情(相反する感情)になるのです。

政治と文学の主題

こういったテーマについて文学や批評は多くの言葉を費やしてきました。

小松左京著『地には平和を』:

「犠牲をはらったなら、それだけのものをつかみとらねばならん。それでなければ、歴史は無意味なものになる。二十世紀が後代の歴史に及ぼした最も大きな影響は、その中途半端さだった。世界史的規模における日和見主義だった。だからはっきりいって、第二次大戦の犠牲は無駄になったのだ。全人類が、自己のうち出した悲惨さの前に、恐れをなして中途で眼をつぶってしまったのだ。もうたえられないと思って、中途で妥協したのだ――日本の場合、詔勅一本で、突然お手あげした。その結果、戦後かれらが手に入れたものは何だったか? 二十年をまたずして空文化してしまった平和憲法だ!」

村上龍著『愛と幻想のファシズム(下)』(講談社文庫)p.18-19:

「オレは時々、日本人であることかがいやになるよ」

そんなことを言うのは洞木だ。

「要するに誰でもいいんだ、保護してくれるんだったらどの国でもいいと思ってる、考えるのは金のことだけだ、価値観の違いなど気にとめない、そもそも価値観などないのかも知れない、そういう意味で言えば守るべきものを何一つ持たない国なのかも知れない、どうしてそんなことになったのだろう、やはり占領、侵略の経験がないからかな、目の前で親兄弟を殺されたことがないんだ、オレはいつも不思議だったよ、大東亜戦争で無条件降伏をしたのが今でも不思議でしようがない、戦争の原因は常に経済だと思うが、戦争を続けるためには価値観の相違が条件だよな、宗教が一番いい例だけど、あいつの考えてることはわからない、あいつは嫌いだ、あいつをやっつけてしまえ、大東亜戦争はまさにそういう価値観の戦いだったわけだ、グラマンと零戦にしたってその価値観が反映されて典型的に違うタイプの戦闘機だからね、そういう価値観に基づく戦争をやっておきながら、つまり宗教戦争と同じなくせに、無条件降服とは何だ? それも、本土決戦もせずに……ナチスドイツはしようがないよ、ベルリンが落ちたんだから、もう戦いようがない、しかし日本は違う、オレは今でもプライドを持てないね

東浩紀著『動物化するポストモダン』p.36:

80年代のナルシスティックな日本が、もし敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。大塚(英志)や岡田(斗司夫)のオタク論に限らず、江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。したがってそこで見出された「江戸」もまた、現実の江戸ではなく、アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構であることが多い

「敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば」、ペリー来航以前の江戸時代を夢想するのがたやすい、ということです。

敗戦という「精神的外傷」

日本人はまだ「敗戦」のインパクトを消化しきれていないと思います。「敗戦」のインパクトは、何世紀にもわたって、日本人のメンタリティに暗い影を落とすことになるでしょう。

欧米諸国に比べて、日本には、侵略したり、侵略されたりといった「侵略の経験値」がほとんどありませんでした。 1 「侵略の経験値」が低かった日本人は、初めての大きな敗戦によって、ひどい精神的外傷(トラウマ)を負いました。

「敗戦の精神的外傷」を乗り越えることが、日本人にとって長期的には最も重要な課題です。「敗戦の精神的外傷」に比べれば、他のあらゆる問題は、せいぜい100年以内の時間で解決するような「短期的」な問題に過ぎません。

経済停滞や、年金や、原発事故といった問題も、すべて「症状」であって「原因」ではありません。真の問題はこうです。なぜ日本はそういう問題を自力で解決できない国なのか。なぜ日本では政治が、デモクラシーが、まともに機能しないのか。

敗戦と近代化とデモクラシー

「敗戦」に至った経緯をペリー来航にまで遡って考えれば、不平等条約下で植民地化の危機にさらされつつ、欧米列強による支配を避けるために近代化し、日露戦争以来独立をかけて戦い続けた結果として、1945年の敗戦に至りました。

いわば日本の「敗戦」は、明治維新以来の「独立を賭けた近代化の最終的な失敗」を意味します。敗戦後、GHQの「侵略」によって日本は強制的に「再近代化」させられました。そのことが立憲主義、憲法制定権力、社会契約といったデモクラシーの基本理念に及ぼす影響は甚大です。

GHQは、ソ連による日本における共産主義革命を防ぐことに成功しました。それによって日本で「革命を通じた人民政府の樹立」は成し遂げられませんでした。これが今日の日本でデモクラシーがまともに機能しない理由だと私は考えます(もちろん共産主義革命は肯定しませんが)。日本の統治権力はずっと「武家と貴族」のままです。いまだに政治家や官僚を「お上」などと呼ぶ「被支配民根性」が残っています。

日本はGHQの政策によって戦後混乱期の共産主義革命や内戦を回避しました。しかし、それは政治家と官僚を「お上」と呼ぶ「被支配民根性」を捨てる機会を失ったということでもあります。それではデモクラシーなど実現しません。デモクラシーは「お上に任せて文句を言う」ことではなく「自ら引き受けて考えて決める」ことによって機能するはずだからです。

このような理路で、私の考えでは、日本人として日本について長期的に考えるならば、「敗戦」と真正面から向き合わなければなりません。日本における近代化と憲法とデモクラシーについてラディカル(根本的)に考えるならば、「敗戦」は避けて通れないテーマです。

「忘れた振り」をやめなければならない

まずは「敗戦」を無意識に忘れようとするような振る舞いをやめることが必要です。忘れた振りをしていても何も解決しないのです。こればかりは、時間が解決する類いの問題ではないでしょう。世界史を見れば明らかです。世界には、侵略された怨念を、何世紀にもわたって、末代まで、語り継ぐ民族がいます。日本人は、忘れた振りをしているだけです。忘れることなど出来やしないのが「侵略」の記憶なのに。こればかりは忘却が得意な日本人にだって忘れることはできないでしょう。

忘れた振りをして、アメリカと上辺だけ仲良く付き合っていく。それは「大人」の振る舞いだとは思えません。「敗戦」を自分の中で消化して、「大人」として、あらためてアメリカとの関係を考えていかなければ。

日本はアメリカと戦争をして、敗れました。日本人がたくさん殺されました。日本人もアメリカ人をたくさん殺しました。そのうえで日本はアメリカの友好国なのです。

これを見て嫌悪感を覚える人もいるでしょう。「かつて日本人がアメリカ人を殺しただなんて」「かつてアメリカ人に殺されただなんて」「なんでいまさらそんなことを言うんだ」といった嫌悪感を覚える人もいるでしょう。でも、それこそ忘れた振りではないでしょうか。

日本は、いまや緊密な関係にある友好国アメリカと、かつては血で血を洗う戦争をしました。これは忘れてはならないことです。

日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式の写真
出典:陸上自衛隊中央音楽隊ウェブサイト

この写真は、日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式の様子です。まさに血で血を洗う激戦の地となった硫黄島で、日本人とアメリカ人が共に戦没者を慰霊追悼しています。現在の日本とアメリカの関係には、このような礎があります。

戦死者数

第二次世界大戦太平洋戦線(太平洋戦争)における米軍の戦死者は約11万人。ほぼ全員が対日戦での戦死者だといえるでしょう。

日本側の戦死者は約174万人、市民(非戦闘員)の死者は約39万人。日本側の戦死者のうち、中国での死者が約38万人、中国以外のアジア南部での死者が約21万人。つまり約115万人の日本兵が太平洋戦線において死亡。その大半が直接にせよ間接(兵站上の問題による餓死やマラリヤ等の病死も含む)にせよ、対米戦における戦死者だといえるでしょう。 2

これだけの戦死者がいたことを忘れてはなりません。

敗戦を真正面から考える

繰り返します。まずは「敗戦」の記憶を忘れないこと、もっと正確に言えば、忘れた振りをやめることから始めましょう。「敗戦」の記憶に向き合い、それを受け入れたときに、日本人は「敗戦」の精神的外傷を克服できるはずです。何世紀後になるとしても、それは必要なことです。日本の近代化にとって。日本のデモクラシーにとって。

日本はアメリカと戦争をして、敗れました。日本人がたくさん殺されました。日本人もアメリカ人をたくさん殺しました。そのうえで日本はアメリカの友好国なのです。

もちろん、個々人がアメリカを好きか嫌いかは関係ありません。国家間が「友好国」であるからといって、「友好的感情」を持たない国民がいても構いません。単に外交上、定義上、日本はアメリカの「友好国」です。客観的な事実です。日本とアメリカが戦争したことも、客観的な事実です。ですから、これはイデオロギーや価値観を超えた話です。単に事実を見ようという話です。

そして未来の話です。私の考えでは、福島第一原発事故について考える際に、敗戦を参照することは有意義なはずです。そのような思考法を、私達は野中郁次郎氏に学ぶことができます。

結論

結局この文章で伝えたかったことは、「対米戦争」と「敗戦」は、20世紀的なイデオロギー論争とは切り離しつつ、未来志向で考えることができるテーマだし、考え続けなければならないということです。

未来志向で「敗戦」について考える姿勢を、野中郁次郎氏に学ぶことができます。戦後の原点は敗戦です。敗戦の延長に、現在があり、未来があります。

関連情報

  1. もちろん、明治の「近代化」以前にも、日本には侵略の経験がなかったわけではありません。元寇、朝鮮出兵、琉球、蝦夷など。それもまた多くの日本人が忘却している戦争の歴史といえるかもしれません。

  2. ソースは The Pacific War Online Encyclopedia: Casualties